: 8年前の今日、2011年3月11日はディズニーランドにいました。  「何回同じ話するんじゃ」と思う方も居そうだけど、ここ数年でフォロワーも増えたのでまたお話しします。  地震が来たのはスプラッシュマウンテンに並んでいた時。地下だからか振り子のような変な揺れ方で、私は「真上をコースターが通ったのかな〜」なんて呑気な事を考えていた。後ろに並んでいた中国人が騒ぎ出し、やっと地震だと気付いた。慌てて逃げ出したのは彼らだけで、列に並んでいた私達含む日本人は皆「えっどうしよっかアハハ」状態だった。  暫くしてキャストさんの誘導でゲストは全てのアトラクション、レストラン、土産物屋から出された。確かパレードの最中で、カラフルな大きい乗り物(?)の上に取り残されたダンサーさんが高所作業車で救助されていた。私はそれを横目で見ながら(あの車どっから出てきたんだろう)なんてこれまた呑気なことを考えていた。  いつのまにかパレードの出演者たちはどこかへ消え、代わりに全てのゲストがその道に何をするでもなく、ただ立っていた。日は暮れかかり、すっかり寒くなっていた。後から知ったけど、その数時間は園の全ての建物の安全確認をしていたらしい。  その時配られたのが ・大きなカッパ ・大きなゴミ袋二枚 ・ビニール手袋 ・大豆ひじきご飯 だった。 ※写真2枚目参照  上3つは防寒用として。 写真見てもらえば分かると思うけど皆カッパの上から黒いゴミ袋を被っていてかなり異様な光景だった。当時ホンモノの(笑)女子高生だった私は制服の短いスカートに生脚だったので、首から一枚そしてスカートの上からも一枚、という全身ゴミ袋コーデで数時間過ごした。 笑顔で写真を撮れるくらいには心に余裕があったし、周りも皆そんな感じだった。多分「不謹慎」とか何とか言う人たちってたいてい外の人ばかりで、被災の中にいる人はその状況を受け入れて楽観しようとしてる人が圧倒的に多いように感じた。だから地震の後も意外と写真を撮っていて、それは今になって記録として役に立ってる。 食糧の不便は全くなかった。隣の家族がお土産用のお煎餅やチョコを分けてくれたし、大豆ひじきご飯は温かくて美味しかった。これらは普段どこに貯蔵されていて、どこで温めたんだろう、というのは未だに謎のまま。  ご飯を食べ終わった頃に大移動が始まった。確か「ここからここまでの人達は僕についてきてくださーい」みたいな感じで大勢のゲストがブロックに分かれて移動したような気がする。その時案内してくれたキャストのお兄さんがまた斬新なキャラクターで、強烈に印象に残っている。キャプテンEOの中で寝ることになった私たちに言った台詞、「キャプテンEOの中はマジでクッソ安全なんで???」は忘れない。多分この台詞を言われたことのある人は後にも先にも居ないと思う。お兄さんと言っても今の私よりは年下だった筈だし、やっぱりディズニーのキャストさんってすごい。このお兄さんに限らず、皆自分よりもゲストの安全最優先に動いていた。 そしてやっと私達は「マジでクッソ安全な」屋内に入れることになった。かなり夜も更けた頃だったと思う。キャプテンEOの中、といってもあのフカフカの椅子ではなく、入口と劇場の間の硬い床に雑魚寝をした。 その時に配られたアルミホイルのような毛布は結構衝撃的で、ペラペラの銀紙一枚なのにすごく暖かかった。 こうして私は、親とも離ればなれの帰宅難民だったにも関わらず、しっかりご飯も食べ暖かい安全な屋内で友達と一緒に夜を明かすことができた。 当然のように私たちは地震の大きさも、震源地も、どこでどれだけの被害が出ているかも分かっていなかった。だからあまり深刻にならず、結果精神衛生上、、よかったような気がする。 当時持っていたガラケーも全く繋がらず、「無事です」と母に送ったメールは明け方頃に届いていたらしい。  次の日の昼近くになってやっと「浦安からの電車が動き出したらしい」という情報が入った。舞浜ではなく浦安。まあまあな距離だったけどディズニー客が列をなしていたので迷わずたどり着けた。確か道中でトイレに寄りたくなった子がいて、小さな病院(何科だったんだろう)に少しお邪魔させていただいた。  その病院内にあったテレビを見て、ようやく地震の大きさを知った。  まず驚いたのが震源地。東北で起きた地震で自分達にこんなに影響があるなんて思わなかった。そして2次被害。地割れはディズニー内でも見てきたけど、津波や液状化はこのときに初めて知った。 あらためて自分たちが「夢の世界」に隔離されていたことに気づいた瞬間だった。まさか日本中が大混乱しているなんて。  ディズニーで被災した、と言うと大変だったねとか怖かったでしょうとか言われるけど全然そんなことはなく、寧ろ逆で、被災中も(ディズニーにいて良かったなぁ)なんて考えていた。  1枚目は12日早朝。 2枚目は11日夜。 3枚目は11日午前。(地震前)  以上、ただの思い出話です。 教訓でも訴えかけでもありません。 歳を取るとどんどん忘れていっちゃうからね。私自身がずっと、この日を忘れないために。 #20110311

ricozaneさん(@ricozane)が投稿した動画 -

森實りこのインスタグラム(ricozane) - 3月11日 12時27分


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8年前の今日、2011年3月11日はディズニーランドにいました。
 「何回同じ話するんじゃ」と思う方も居そうだけど、ここ数年でフォロワーも増えたのでまたお話しします。

地震が来たのはスプラッシュマウンテンに並んでいた時。地下だからか振り子のような変な揺れ方で、私は「真上をコースターが通ったのかな〜」なんて呑気な事を考えていた。後ろに並んでいた中国人が騒ぎ出し、やっと地震だと気付いた。慌てて逃げ出したのは彼らだけで、列に並んでいた私達含む日本人は皆「えっどうしよっかアハハ」状態だった。

暫くしてキャストさんの誘導でゲストは全てのアトラクション、レストラン、土産物屋から出された。確かパレードの最中で、カラフルな大きい乗り物(?)の上に取り残されたダンサーさんが高所作業車で救助されていた。私はそれを横目で見ながら(あの車どっから出てきたんだろう)なんてこれまた呑気なことを考えていた。

いつのまにかパレードの出演者たちはどこかへ消え、代わりに全てのゲストがその道に何をするでもなく、ただ立っていた。日は暮れかかり、すっかり寒くなっていた。後から知ったけど、その数時間は園の全ての建物の安全確認をしていたらしい。

その時配られたのが
・大きなカッパ
・大きなゴミ袋二枚
・ビニール手袋
・大豆ひじきご飯
だった。
※写真2枚目参照

上3つは防寒用として。
写真見てもらえば分かると思うけど皆カッパの上から黒いゴミ袋を被っていてかなり異様な光景だった。当時ホンモノの(笑)女子高生だった私は制服の短いスカートに生脚だったので、首から一枚そしてスカートの上からも一枚、という全身ゴミ袋コーデで数時間過ごした。
笑顔で写真を撮れるくらいには心に余裕があったし、周りも皆そんな感じだった。多分「不謹慎」とか何とか言う人たちってたいてい外の人ばかりで、被災の中にいる人はその状況を受け入れて楽観しようとしてる人が圧倒的に多いように感じた。だから地震の後も意外と写真を撮っていて、それは今になって記録として役に立ってる。
食糧の不便は全くなかった。隣の家族がお土産用のお煎餅やチョコを分けてくれたし、大豆ひじきご飯は温かくて美味しかった。これらは普段どこに貯蔵されていて、どこで温めたんだろう、というのは未だに謎のまま。

ご飯を食べ終わった頃に大移動が始まった。確か「ここからここまでの人達は僕についてきてくださーい」みたいな感じで大勢のゲストがブロックに分かれて移動したような気がする。その時案内してくれたキャストのお兄さんがまた斬新なキャラクターで、強烈に印象に残っている。キャプテンEOの中で寝ることになった私たちに言った台詞、「キャプテンEOの中はマジでクッソ安全なんで???」は忘れない。多分この台詞を言われたことのある人は後にも先にも居ないと思う。お兄さんと言っても今の私よりは年下だった筈だし、やっぱりディズニーのキャストさんってすごい。このお兄さんに限らず、皆自分よりもゲストの安全最優先に動いていた。
そしてやっと私達は「マジでクッソ安全な」屋内に入れることになった。かなり夜も更けた頃だったと思う。キャプテンEOの中、といってもあのフカフカの椅子ではなく、入口と劇場の間の硬い床に雑魚寝をした。
その時に配られたアルミホイルのような毛布は結構衝撃的で、ペラペラの銀紙一枚なのにすごく暖かかった。
こうして私は、親とも離ればなれの帰宅難民だったにも関わらず、しっかりご飯も食べ暖かい安全な屋内で友達と一緒に夜を明かすことができた。
当然のように私たちは地震の大きさも、震源地も、どこでどれだけの被害が出ているかも分かっていなかった。だからあまり深刻にならず、結果精神衛生上、、よかったような気がする。
当時持っていたガラケーも全く繋がらず、「無事です」と母に送ったメールは明け方頃に届いていたらしい。

次の日の昼近くになってやっと「浦安からの電車が動き出したらしい」という情報が入った。舞浜ではなく浦安。まあまあな距離だったけどディズニー客が列をなしていたので迷わずたどり着けた。確か道中でトイレに寄りたくなった子がいて、小さな病院(何科だったんだろう)に少しお邪魔させていただいた。

その病院内にあったテレビを見て、ようやく地震の大きさを知った。

まず驚いたのが震源地。東北で起きた地震で自分達にこんなに影響があるなんて思わなかった。そして2次被害。地割れはディズニー内でも見てきたけど、津波や液状化はこのときに初めて知った。
あらためて自分たちが「夢の世界」に隔離されていたことに気づいた瞬間だった。まさか日本中が大混乱しているなんて。

ディズニーで被災した、と言うと大変だったねとか怖かったでしょうとか言われるけど全然そんなことはなく、寧ろ逆で、被災中も(ディズニーにいて良かったなぁ)なんて考えていた。

1枚目は12日早朝。
2枚目は11日夜。
3枚目は11日午前。(地震前)


以上、ただの思い出話です。
教訓でも訴えかけでもありません。
歳を取るとどんどん忘れていっちゃうからね。私自身がずっと、この日を忘れないために。

#20110311


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