最近、#21世紀の女の子 を映画館で、ひとりで観ました。 わたしはいつも、素晴らしい映画を観ると、 「このシーンがカメラによって記録され、スクリーンに映し出され、人々に記憶されることが、信じられない」 という、ある“信じられなさ”を抱いています。 しかして自作についてこんな感慨を持つことは、 とても、恥ずかしいことなのかもしれませんが、 わたしは、『21世紀の女の子』が創り上げられたことに、信じられないくらい、驚いていました。 こんなにも素晴らしい映画が、同じ時代に誕生したということに、もはや全く信じられないくらいの衝撃を、 心のふかい場所で、受けてしまったのでした。 ある一人の観客として、あの暗闇で、あの映画を、純朴に受け止め続けた時間を忘れることは、この先ありません。 ー 冒頭のタイトルクレジットが出た瞬間、 心臓の音が音楽のように奏でられ、 一作目から、作家の魂の圧が放たれて、 劇場が呼吸し始める感覚が迫ってくるーー 二作目、主人公の瞳に讃えられた水分量に、 あまりにも新しく込み上げるものがあるーー 三作目、すべてのビジュアルと科白が、 自分自身に向かって疾走してくるーー止まずに。 ー 各篇が、まるでほんとうに、今この瞬間に、 映画が生まれたかのように、輝いていました。 今まで、何度も何度も観直した作品たちが、 私と共に、死へと近づいたはずの映像群が、 映画館という複製装置を遣って、現在に呼吸を吹き返し、 より力強い生命として、 一篇一篇が、取り返しのつかぬ光を放っていました。 ー 切実さ、という言葉を、 若い方の撮られた作品の審査員をする際には、思わず使ったりしてしまいます。 あの甘やかな熱に対してね。 でも同時に、それはとても恐ろしく、疑わしくてあまりにも便利な言葉だとも、私たちは、知っていますね。 ー もっと、それを超えたもの、どんな言葉があるでしょうか? ーーー“切迫感” 今は、そうとしか、暫定的に呼ぶことしか出来ないのかもしれない。 あるいは、どんな言葉でも、どのみち、叶わない。 言葉では敵わない、あの確信。 それが、画面に灼き付いていることの、 “信じられなさ”。! ー そして、 はっと、この映画は、10年後、20年後も、 そんなにも、大切に観られているーー その映画が、永く観られることにより、 自分自身の命を、もっと強く燃やして生きようとする女の子が、現れ続けるーー という確信もまた、はっきりと降りてくるのでした。 実直には、この映画は、きっと100年後にさえも、いや間違いなく観られているという景色が、 慣れない肉体を冷ますインスピレーションのように、 身震いを巻き起こすのでした。 ー わたしは映画館にて、 生まれて初めて、#21世紀の女の子 という作品の意味を、知るのでした。 この映画は、観た人の心に、 「よーい、スタート!」という目覚ましを、 「映画を、撮りたい」という肉声をこそ、巻き起こす時間芸術なのだと。 ひとりでも多くの女の子が、映画を撮ること、 あるいは、映画を撮るように、生きることを。 求めることを。願いを。その答えを。 そのために、たった一つの問いを、この世界で、 突き詰めた映画があるということーー 気持ちだけが、あなたを追いかけてゆく。 この映画の生誕に、力を貸してくださったすべての方に、どれだけ感謝しても、果てまでゆかぬほど。 ー そんな方々が、 「新しい作品を創ろう」 と願いながら歩み出す一歩に、 本作が、いちばん大きな翼を授けるべくありますように。 その羽根を旋風しながら関わってくださったすべての方、 この『21世紀の女の子』という映画を通して、 同じ願いを魂に宿してくださったすべての方に、 言葉にはならない、 でも、映画には映る、 この心の中のあるsceneを捧げます。

yamato_ukさん(@yamato_uk)が投稿した動画 -

山戸結希のインスタグラム(yamato_uk) - 3月4日 23時01分


最近、#21世紀の女の子 を映画館で、ひとりで観ました。
わたしはいつも、素晴らしい映画を観ると、
「このシーンがカメラによって記録され、スクリーンに映し出され、人々に記憶されることが、信じられない」
という、ある“信じられなさ”を抱いています。
しかして自作についてこんな感慨を持つことは、
とても、恥ずかしいことなのかもしれませんが、
わたしは、『21世紀の女の子』が創り上げられたことに、信じられないくらい、驚いていました。
こんなにも素晴らしい映画が、同じ時代に誕生したということに、もはや全く信じられないくらいの衝撃を、
心のふかい場所で、受けてしまったのでした。
ある一人の観客として、あの暗闇で、あの映画を、純朴に受け止め続けた時間を忘れることは、この先ありません。

冒頭のタイトルクレジットが出た瞬間、
心臓の音が音楽のように奏でられ、
一作目から、作家の魂の圧が放たれて、
劇場が呼吸し始める感覚が迫ってくるーー
二作目、主人公の瞳に讃えられた水分量に、
あまりにも新しく込み上げるものがあるーー
三作目、すべてのビジュアルと科白が、
自分自身に向かって疾走してくるーー止まずに。

各篇が、まるでほんとうに、今この瞬間に、
映画が生まれたかのように、輝いていました。
今まで、何度も何度も観直した作品たちが、
私と共に、死へと近づいたはずの映像群が、
映画館という複製装置を遣って、現在に呼吸を吹き返し、
より力強い生命として、
一篇一篇が、取り返しのつかぬ光を放っていました。

切実さ、という言葉を、
若い方の撮られた作品の審査員をする際には、思わず使ったりしてしまいます。
あの甘やかな熱に対してね。
でも同時に、それはとても恐ろしく、疑わしくてあまりにも便利な言葉だとも、私たちは、知っていますね。

もっと、それを超えたもの、どんな言葉があるでしょうか?
ーーー“切迫感”
今は、そうとしか、暫定的に呼ぶことしか出来ないのかもしれない。
あるいは、どんな言葉でも、どのみち、叶わない。
言葉では敵わない、あの確信。
それが、画面に灼き付いていることの、
“信じられなさ”。!

そして、
はっと、この映画は、10年後、20年後も、
そんなにも、大切に観られているーー
その映画が、永く観られることにより、
自分自身の命を、もっと強く燃やして生きようとする女の子が、現れ続けるーー
という確信もまた、はっきりと降りてくるのでした。
実直には、この映画は、きっと100年後にさえも、いや間違いなく観られているという景色が、
慣れない肉体を冷ますインスピレーションのように、
身震いを巻き起こすのでした。

わたしは映画館にて、
生まれて初めて、#21世紀の女の子 という作品の意味を、知るのでした。
この映画は、観た人の心に、
「よーい、スタート!」という目覚ましを、
「映画を、撮りたい」という肉声をこそ、巻き起こす時間芸術なのだと。
ひとりでも多くの女の子が、映画を撮ること、
あるいは、映画を撮るように、生きることを。
求めることを。願いを。その答えを。
そのために、たった一つの問いを、この世界で、
突き詰めた映画があるということーー
気持ちだけが、あなたを追いかけてゆく。
この映画の生誕に、力を貸してくださったすべての方に、どれだけ感謝しても、果てまでゆかぬほど。

そんな方々が、
「新しい作品を創ろう」
と願いながら歩み出す一歩に、
本作が、いちばん大きな翼を授けるべくありますように。
その羽根を旋風しながら関わってくださったすべての方、
この『21世紀の女の子』という映画を通して、
同じ願いを魂に宿してくださったすべての方に、
言葉にはならない、
でも、映画には映る、
この心の中のあるsceneを捧げます。


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2019/3/4

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