山戸結希のインスタグラム(yamato_uk) - 3月4日 23時01分
最近、#21世紀の女の子 を映画館で、ひとりで観ました。
わたしはいつも、素晴らしい映画を観ると、
「このシーンがカメラによって記録され、スクリーンに映し出され、人々に記憶されることが、信じられない」
という、ある“信じられなさ”を抱いています。
しかして自作についてこんな感慨を持つことは、
とても、恥ずかしいことなのかもしれませんが、
わたしは、『21世紀の女の子』が創り上げられたことに、信じられないくらい、驚いていました。
こんなにも素晴らしい映画が、同じ時代に誕生したということに、もはや全く信じられないくらいの衝撃を、
心のふかい場所で、受けてしまったのでした。
ある一人の観客として、あの暗闇で、あの映画を、純朴に受け止め続けた時間を忘れることは、この先ありません。
ー
冒頭のタイトルクレジットが出た瞬間、
心臓の音が音楽のように奏でられ、
一作目から、作家の魂の圧が放たれて、
劇場が呼吸し始める感覚が迫ってくるーー
二作目、主人公の瞳に讃えられた水分量に、
あまりにも新しく込み上げるものがあるーー
三作目、すべてのビジュアルと科白が、
自分自身に向かって疾走してくるーー止まずに。
ー
各篇が、まるでほんとうに、今この瞬間に、
映画が生まれたかのように、輝いていました。
今まで、何度も何度も観直した作品たちが、
私と共に、死へと近づいたはずの映像群が、
映画館という複製装置を遣って、現在に呼吸を吹き返し、
より力強い生命として、
一篇一篇が、取り返しのつかぬ光を放っていました。
ー
切実さ、という言葉を、
若い方の撮られた作品の審査員をする際には、思わず使ったりしてしまいます。
あの甘やかな熱に対してね。
でも同時に、それはとても恐ろしく、疑わしくてあまりにも便利な言葉だとも、私たちは、知っていますね。
ー
もっと、それを超えたもの、どんな言葉があるでしょうか?
ーーー“切迫感”
今は、そうとしか、暫定的に呼ぶことしか出来ないのかもしれない。
あるいは、どんな言葉でも、どのみち、叶わない。
言葉では敵わない、あの確信。
それが、画面に灼き付いていることの、
“信じられなさ”。!
ー
そして、
はっと、この映画は、10年後、20年後も、
そんなにも、大切に観られているーー
その映画が、永く観られることにより、
自分自身の命を、もっと強く燃やして生きようとする女の子が、現れ続けるーー
という確信もまた、はっきりと降りてくるのでした。
実直には、この映画は、きっと100年後にさえも、いや間違いなく観られているという景色が、
慣れない肉体を冷ますインスピレーションのように、
身震いを巻き起こすのでした。
ー
わたしは映画館にて、
生まれて初めて、#21世紀の女の子 という作品の意味を、知るのでした。
この映画は、観た人の心に、
「よーい、スタート!」という目覚ましを、
「映画を、撮りたい」という肉声をこそ、巻き起こす時間芸術なのだと。
ひとりでも多くの女の子が、映画を撮ること、
あるいは、映画を撮るように、生きることを。
求めることを。願いを。その答えを。
そのために、たった一つの問いを、この世界で、
突き詰めた映画があるということーー
気持ちだけが、あなたを追いかけてゆく。
この映画の生誕に、力を貸してくださったすべての方に、どれだけ感謝しても、果てまでゆかぬほど。
ー
そんな方々が、
「新しい作品を創ろう」
と願いながら歩み出す一歩に、
本作が、いちばん大きな翼を授けるべくありますように。
その羽根を旋風しながら関わってくださったすべての方、
この『21世紀の女の子』という映画を通して、
同じ願いを魂に宿してくださったすべての方に、
言葉にはならない、
でも、映画には映る、
この心の中のあるsceneを捧げます。
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2019/3/4