30万部こえてるポジティブの教科書担当者高原さんの記事を再度シェア(5年前) ◆読者の方からの電話 「武田先生ですか?」 先日、読者の方からお電話があった。 嗄れているが大きく響く低音が受話器から聞こえる。 年配とおぼしき男性の声に、クレーム? と思わず身構え る。 「いえ、ポジティブの教科書の担当の者ですが。どうされましたか?」 恐る恐る尋ねた。 「うちの孫がね、あ、Aっていうんですが、ポジティブ? 読んだわけです」 「はい」 「Aは高校1年なんだけど、留年していて本当なら3年生。18歳。引きこもりで、全然行っていないわけですよ、高校に」 「はい」 「それが、年明けてから急に行きだしましてね。嬉しいけど、何があったかって、 こっちは驚くわけですよ。だって、入学式さも出ねぇで……っていっても、あん時はそれどころじゃなかったんです、震災で」 「震災? 3年前だと、そうですよね」 「私の娘とさ、孫娘、津波でやられちゃったわけです」 「え? ……東北の方ですか?」 「そうです。うちはBなので大丈夫だったんですけど、娘の家はCにあって。あの辺りはのきなみやられて、何もなくなってしまいました」 「それは……お辛かったですね」 「娘と孫娘、まだ小学生だったんです」 「……」 「だから、Aが引きこもりになっても何も言えなくってね」 「A君は、お母さんと妹さんを亡くされたんですね?」 「そうです。明るくていい子だったんだけどあれ以来、全然、喋らなくなって」 「お察しします」 「だから、今年んなって急に学校行きだしたからびっくりして。嬉しいんだけど、どうしたもんだろうってずっと思ってて」 「はい」 「ようやくね、訳を聞いたんですよ、この前。そしたら……」 学校の先生や友達が引きこもりのA君に3年弱の間、 メールや手紙、本、音楽のCD、映画のDVDを 贈り続けて励まし続けてきたという。 それでも、A君の心は閉ざされたままだった。 3.11にお母さんと妹さんを亡くされた悲しみは計り知れない。 それだけに叱ることも出来ず、今までずるずるときてしまったという。 それが突然、年明けから学校に行きだしたA君。 最近、お祖父さんが訳を聞くと、年末に幼なじみから贈られた 一冊の本を見せてくれたという。 「ポジティブの教科書」 「Aがね、『自分が生きていることに感謝しなきゃ』なんていうんですよ。 ずっと、ろくに喋らなかったやつが」 「はい」 「しかも、『じいちゃん、生きていてくれてありがとう』って、 言ったんですよ……」 涙声でしばらく言葉が続かなかった。 「……私ら、年寄りは、なんで生き残ってしまったのか、 代われるもんなら、死んだ若い人たちと代わってやりたいって、 みんな思ってました。どこかで後ろめたさもあって、生き残って しまったことの……」 以前、被災地を取材した際、難を逃れた高齢者が自らを責める サバイバーズ・ギルドという症状にあることを知って驚いた。 そのやりきれない気持ちが甦った。 「だから、なんだか救われたっていうかね。老い先短い老いぼれだけど、 長生きしなきゃって思えました、震災以来初めて」 お祖父さんも「ポジティブの教科書」を読んでくださったという。 自分にだって幸せなことがある。 自分にもできることがある。 だから、人のために生きよう。 それに気づけたことが嬉しかった。 その思いを伝えたくて電話を下さったそうだ。 「武田先生は若いのに、立派ですね。 Aも私も本当に感謝しています」 「……」 受話器を持つ僕の手は震え、言葉が出なかった。 「本当は手紙でも書きたかったんですが、私、学がねぇし、 自慢じゃないけど字が下手でね。電話のほうが早いと思いましてね……」 何度も何度も感謝の言葉を述べるお祖父さん。 その何倍もお礼を言いたいのは僕の方だった。 でも、声が声にならなかった。 気を許すと、嗚咽が漏れそうで必死に堪えるしかなかった。 震災から間もなく3年。 お二人が新たな扉を開けるタイミングに重なったのだろう。 きっと、違う本でもお二人の心に響いたかもしれない。 もっと大きな感動や気づきを与えていたかもしれない。 ただ、それがたまたまだったにせよ、自分が手がけた本だったことは、 何よりも嬉しく、そして誇らしかった。 この本を作ってよかったと心から思えた一本の電話。 この仕事をしてきて、最も幸せな瞬間だった。 (……長文、失礼しました!!!)

souun.takedaさん(@souun.takeda)が投稿した動画 -

武田双雲のインスタグラム(souun.takeda) - 2月14日 10時40分


30万部こえてるポジティブの教科書担当者高原さんの記事を再度シェア(5年前) ◆読者の方からの電話 「武田先生ですか?」 先日、読者の方からお電話があった。
嗄れているが大きく響く低音が受話器から聞こえる。
年配とおぼしき男性の声に、クレーム? と思わず身構え る。 「いえ、ポジティブの教科書の担当の者ですが。どうされましたか?」
恐る恐る尋ねた。 「うちの孫がね、あ、Aっていうんですが、ポジティブ? 読んだわけです」 「はい」 「Aは高校1年なんだけど、留年していて本当なら3年生。18歳。引きこもりで、全然行っていないわけですよ、高校に」 「はい」 「それが、年明けてから急に行きだしましてね。嬉しいけど、何があったかって、
こっちは驚くわけですよ。だって、入学式さも出ねぇで……っていっても、あん時はそれどころじゃなかったんです、震災で」 「震災? 3年前だと、そうですよね」 「私の娘とさ、孫娘、津波でやられちゃったわけです」 「え? ……東北の方ですか?」 「そうです。うちはBなので大丈夫だったんですけど、娘の家はCにあって。あの辺りはのきなみやられて、何もなくなってしまいました」 「それは……お辛かったですね」 「娘と孫娘、まだ小学生だったんです」 「……」 「だから、Aが引きこもりになっても何も言えなくってね」 「A君は、お母さんと妹さんを亡くされたんですね?」 「そうです。明るくていい子だったんだけどあれ以来、全然、喋らなくなって」 「お察しします」 「だから、今年んなって急に学校行きだしたからびっくりして。嬉しいんだけど、どうしたもんだろうってずっと思ってて」 「はい」 「ようやくね、訳を聞いたんですよ、この前。そしたら……」 学校の先生や友達が引きこもりのA君に3年弱の間、
メールや手紙、本、音楽のCD、映画のDVDを
贈り続けて励まし続けてきたという。
それでも、A君の心は閉ざされたままだった。
3.11にお母さんと妹さんを亡くされた悲しみは計り知れない。
それだけに叱ることも出来ず、今までずるずるときてしまったという。

それが突然、年明けから学校に行きだしたA君。
最近、お祖父さんが訳を聞くと、年末に幼なじみから贈られた
一冊の本を見せてくれたという。 「ポジティブの教科書」 「Aがね、『自分が生きていることに感謝しなきゃ』なんていうんですよ。
ずっと、ろくに喋らなかったやつが」 「はい」 「しかも、『じいちゃん、生きていてくれてありがとう』って、
言ったんですよ……」 涙声でしばらく言葉が続かなかった。 「……私ら、年寄りは、なんで生き残ってしまったのか、
代われるもんなら、死んだ若い人たちと代わってやりたいって、
みんな思ってました。どこかで後ろめたさもあって、生き残って
しまったことの……」 以前、被災地を取材した際、難を逃れた高齢者が自らを責める
サバイバーズ・ギルドという症状にあることを知って驚いた。
そのやりきれない気持ちが甦った。 「だから、なんだか救われたっていうかね。老い先短い老いぼれだけど、
長生きしなきゃって思えました、震災以来初めて」

お祖父さんも「ポジティブの教科書」を読んでくださったという。
自分にだって幸せなことがある。
自分にもできることがある。
だから、人のために生きよう。
それに気づけたことが嬉しかった。
その思いを伝えたくて電話を下さったそうだ。 「武田先生は若いのに、立派ですね。
Aも私も本当に感謝しています」 「……」 受話器を持つ僕の手は震え、言葉が出なかった。 「本当は手紙でも書きたかったんですが、私、学がねぇし、
自慢じゃないけど字が下手でね。電話のほうが早いと思いましてね……」 何度も何度も感謝の言葉を述べるお祖父さん。
その何倍もお礼を言いたいのは僕の方だった。
でも、声が声にならなかった。
気を許すと、嗚咽が漏れそうで必死に堪えるしかなかった。

震災から間もなく3年。
お二人が新たな扉を開けるタイミングに重なったのだろう。
きっと、違う本でもお二人の心に響いたかもしれない。
もっと大きな感動や気づきを与えていたかもしれない。
ただ、それがたまたまだったにせよ、自分が手がけた本だったことは、
何よりも嬉しく、そして誇らしかった。

この本を作ってよかったと心から思えた一本の電話。
この仕事をしてきて、最も幸せな瞬間だった。 (……長文、失礼しました!!!)


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2019/2/14

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