田中ウルヴェ京のインスタグラム(miyako.tanaka.oulevey) - 10月13日 00時35分
すごいものを発掘。🤣
1988年ソウル五輪で引退し、翌年1989年4月から新社会人になるということでTBSテレポート6に取り上げていただいた貴重映像。🤣
なーにが貴重って、私を特集してくれる番組なんて。爆。
しかもすごいぞタイトルが。
「さよなら水の妖精 田中京」
😅😅😅
画像荒いですが。
当時の特集でお世話になった林美雄キャスター、そして奈良陽メインキャスターは当時とても温かいコメントで引退した私にエールを贈ってくださった。
大学出たての22歳当時の私にはその温かみはあまり理解できてなかった。
実はこの特集も、1989年2月20日という私の誕生日に放映してくださった。
ここに入れた2つの動画は、特集の最初と最後の数分。
改めて通しで見て、有難いご縁だったと感じ。
お会いしたいなあと検索したら、お二人ともすでに他界されていた。。。 自分が人としてできていないと、人の温かみがなんもわからない。
わからない時は、自分のことを恵まれてないと卑下していた。
自分の中身のせいで、理解できないことは多い。
30年経て思う。
なんで私の特集してくださったのかなあ。
誰が企画案出してくださったのかなあ。
そして不思議なご縁としては、私の報道番組でのレギュラーの仕事の最初は、まさにこのテレポート6と同じ時間帯のNスタ。
2012年からのご縁です。
選手として、メダリストとして、いわゆる「目立つ存在」になれず🤣、20代でのモンモンさは半端なかった自分。
長野冬季五輪の招致活動で、自分と同世代のキラキラ輝く女子メダリストの皆さんが振袖を着てIOC委員への招致活動をしている横で、「そこの事務のお姉さん」と呼ばれ、お茶くみしていた自分を客観し、「引退後にメダリストという肩書きで生きていける人とそうじゃない人が存在する。私はシンクロ以外で何かにならなければ次の人生はない」と思うと同時に、でもシンクロとったら何もない自分に自己嫌悪だった。
30年。次のアイデンティティを作るのに必死だった。自分のことが嫌いで、カッコつけの自分がバレないように、カッコつけてた。🤣ややこし。
改めて見ると。
ぷぷぷ。かわいいですねえ。
必死に「未練はない」と言っている。
「シンクロはすべてでした」と言った後の「なーんてね」という表情を林キャスターは抜いてくれてる。
当時大人だった皆さんには、色々見えてましたかね。
人生めちゃめちゃ遠回りしてきましたが。そしてこれからも遠回りしそうですが。
いや、ようやく30年経って、目指すことが見えてきたと、そんなことを25時間のブエノスアイレスからのフライトで色々思考整理できた次第。
この時期にOlympism in Action Forumに参加させて頂けたことは、おそらく今後の自分にすごく有難いご縁だったと思っています。
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2018/10/13