直接ご連絡した方には重複してしまい恐縮ですが、2018/8/12午前十時過ぎ、私の母は55歳の若さで逝ってしまいました。 母が急病で入院したのは8/6の月曜日でした。後から6月の後半ごろから筋肉痛や体のだるさ発熱といった風邪のような症状があった事がわかりました。その頃から始まっていたのかもしれません。病原は結局闘病中わからず、今後も引き続き調べてもらうことになりました。 入院した日最低でも二週間入院すると聞かされていたので母にすこしでも入院生活テンションあげて欲しいと思って素敵なパジャマを買いました。 入院して2日目にお見舞いに行った時にはもう少し体調が回復してから渡そうと思って持って行きませんでした。その日も高熱は続いていましたが解熱剤で熱が下がればシャワーを浴びたいというので頭を洗ってあげたり会話もできて買って行ったゼリーも喜んでいました。 3日目体調が急変父からの電話で急いで病院へ行きました。母は自分で立って歩くのもままならないほど弱っていました。 名古屋から妹も合流して様子を見ていましたが母は私たちを気遣い帰るように言いました。 夜遅くに呼吸が自力でするのが難しくなり、icuに入ることになりました。 母には深刻さを伝えていなかったので急な出来事に戸惑ったと思います。 私たちの誰もがなんでこんなことにって思っていたけれど当の本人である母が一番困惑していたと思います。 医師に最悪の事態を想定しておくように言われました。その日から病院に泊まり込み。 絶体絶命を母は何度も乗り越え乗り越えるたびに次の難関に直面する。 原因がはっきりしないために的確な治療もなく、覚悟しろと言われてから4度も朝を迎えることができたのは母の頑張りによるものです。お母さんは本当に頑張り屋でした。頑張り屋だったから病気になってしまったのかもしれません。でも頑張り屋だったからすこしでも長く私たちと一緒にいてくれました。 心停止した時意味がわからなかったけれど、点滴一つ大嫌いで絶対に嫌だと言っていた母についたたくさんの管が外された時すこしほっとした気持ちもありました。痛くて苦しいことから解放された母の顔は穏やかに見えました。 ストーリーしかり文章にして視覚化してやっと理解というか出来事を学習できるけれどそれでもやっぱり今よりきっとこの後の葬儀や日常に帰った時に発作的に悲しみが襲ってくるんだと思います。 悲しみはみぞおちから湧き上がってくる。 母の子供に生まれて本当に良かったこと大好きなことを何度も伝えました。強い母の血を持って私もこれからも強く生きていくし家族みんなで支えあって行こうと思います。 母が頑張れたのは母とすこしでも一緒にいられたのは家族と親戚、たくさんの励ましと最善を尽くしてくれた病院のスタッフさまがたのおかげだと思います。本当に感謝しています。 災害も事故も病気もいつどこで起きるかわからなくて、どんなに気をつけていても自分や大切な人に起きることがあって、起きてしまったことはとってもとっても傷むけど受け入れて焦らずそれぞれのペースで生きていく。 私は母の子供だからもっともっと生きてやろうって思うし頑張ろうって思いつつ誰かにこんな想いをさせないためには検診受けたりすこしでも体調変だったら病院に行ったりしようと思いました。 写真は母が七月に撮った空です。 葬儀の準備に入るので引き続き連絡が取りづらく仕事も進みませんが何卒宜しくお願い致します。 あたたかく力のあるお言葉をくださった皆様本当にありがとうございました。 香港のポップアップの予定もそのままに落ち着きましたら各受注作品の製作も含めますます編むことに邁進します。? 私に起きた出来事私の気持ちを汲んでくださった取引先様がたにも大きな感謝をきっと返します。

knitchihiroさん(@knitchihiro)が投稿した動画 -

蓮沼千紘のインスタグラム(knitchihiro) - 8月13日 00時55分


直接ご連絡した方には重複してしまい恐縮ですが、2018/8/12午前十時過ぎ、私の母は55歳の若さで逝ってしまいました。
母が急病で入院したのは8/6の月曜日でした。後から6月の後半ごろから筋肉痛や体のだるさ発熱といった風邪のような症状があった事がわかりました。その頃から始まっていたのかもしれません。病原は結局闘病中わからず、今後も引き続き調べてもらうことになりました。
入院した日最低でも二週間入院すると聞かされていたので母にすこしでも入院生活テンションあげて欲しいと思って素敵なパジャマを買いました。
入院して2日目にお見舞いに行った時にはもう少し体調が回復してから渡そうと思って持って行きませんでした。その日も高熱は続いていましたが解熱剤で熱が下がればシャワーを浴びたいというので頭を洗ってあげたり会話もできて買って行ったゼリーも喜んでいました。
3日目体調が急変父からの電話で急いで病院へ行きました。母は自分で立って歩くのもままならないほど弱っていました。
名古屋から妹も合流して様子を見ていましたが母は私たちを気遣い帰るように言いました。
夜遅くに呼吸が自力でするのが難しくなり、icuに入ることになりました。
母には深刻さを伝えていなかったので急な出来事に戸惑ったと思います。
私たちの誰もがなんでこんなことにって思っていたけれど当の本人である母が一番困惑していたと思います。
医師に最悪の事態を想定しておくように言われました。その日から病院に泊まり込み。
絶体絶命を母は何度も乗り越え乗り越えるたびに次の難関に直面する。
原因がはっきりしないために的確な治療もなく、覚悟しろと言われてから4度も朝を迎えることができたのは母の頑張りによるものです。お母さんは本当に頑張り屋でした。頑張り屋だったから病気になってしまったのかもしれません。でも頑張り屋だったからすこしでも長く私たちと一緒にいてくれました。
心停止した時意味がわからなかったけれど、点滴一つ大嫌いで絶対に嫌だと言っていた母についたたくさんの管が外された時すこしほっとした気持ちもありました。痛くて苦しいことから解放された母の顔は穏やかに見えました。
ストーリーしかり文章にして視覚化してやっと理解というか出来事を学習できるけれどそれでもやっぱり今よりきっとこの後の葬儀や日常に帰った時に発作的に悲しみが襲ってくるんだと思います。
悲しみはみぞおちから湧き上がってくる。
母の子供に生まれて本当に良かったこと大好きなことを何度も伝えました。強い母の血を持って私もこれからも強く生きていくし家族みんなで支えあって行こうと思います。
母が頑張れたのは母とすこしでも一緒にいられたのは家族と親戚、たくさんの励ましと最善を尽くしてくれた病院のスタッフさまがたのおかげだと思います。本当に感謝しています。

災害も事故も病気もいつどこで起きるかわからなくて、どんなに気をつけていても自分や大切な人に起きることがあって、起きてしまったことはとってもとっても傷むけど受け入れて焦らずそれぞれのペースで生きていく。
私は母の子供だからもっともっと生きてやろうって思うし頑張ろうって思いつつ誰かにこんな想いをさせないためには検診受けたりすこしでも体調変だったら病院に行ったりしようと思いました。

写真は母が七月に撮った空です。

葬儀の準備に入るので引き続き連絡が取りづらく仕事も進みませんが何卒宜しくお願い致します。

あたたかく力のあるお言葉をくださった皆様本当にありがとうございました。

香港のポップアップの予定もそのままに落ち着きましたら各受注作品の製作も含めますます編むことに邁進します。?
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2018/8/13

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