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サッカー選手 の長谷部誠 (はせべまこと) さんのインスタグラム(Instagram)アカウントです。

( アイントラハト・フランクフルトサッカー日本代表 )

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長谷部誠 Makoto Hasebe (makoto_hasebe_official)
⚽Football player🇩🇪🇯🇵
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長谷部誠のプロフィール

名前:長谷部誠(サッカー選手)
生年月日:1984年1月18日
出身地:静岡県

“サッカーの町”として知られる、静岡県藤枝市で生まれた長谷部誠は、少年サッカーブームを巻き起こしたサッカーアニメの「キャプテン翼」の影響で、主人公の大空翼に憧れて3歳のころからサッカーをはじめた。小学校に入ると、青島東サッカースポーツ少年団に入団し、週3~4日練習試合をこなしたり、練習がない日は同学年のサッカー少年たちと公園でサッカーをする日々を過ごしていた。中学校時代は藤枝市立青島中学校のサッカー部としてサッカーの練習に励み、長谷部誠の進路はサッカーの名門校として知られる藤枝東高校に決まった。今でこそ日本代表のキャプテンとして知られる長谷部誠だが、高校時代はさほど華やかなものではなかった。というのも、サッカーが盛んな静岡のなかでも名門中の名門、藤枝高校では、能力の高さは認められていたものの、フィジカルの弱さが長谷部誠の弱点と評価されていて、なかなか表舞台に恵まれなかったのだ。U-18日本代表候補に選ばれたり、2001年の全国総体で準優勝を納めるなどの実績はあったのだが、長谷部誠はサッカーの甲子園と呼ばれる、高校サッカー選手権への出場はできずに高校時代を終えることとなった。
この当時、長谷部誠は目立ったものがなく高校卒業後に静岡県内のプロクラブへの入団を希望していたのだが、その声は届かなかった。しかし、県選抜でのプレーに注目していた浦和レッズからのオファーがあり、長谷部誠は浦和レッズでプロサッカー選手の道を切り開くこととなった。

高校卒業と同時に浦和レッズに加入した長谷部誠だが、当時の浦和レッズはミスター・レッズと呼ばれていた福田正博や、日本代表常連の井原正巳などの最後のシーズンだったこともあり、プロ1年目の公式戦出場の機会は、ナビスコカップにたった5分出場しただけという苦しい時季を過ごすこととなった。プロ2年目には、1年目よりも出場機会に恵まれたものの、公式戦で初先発だったナビスコカップのジュビロ磐田戦で退場処分を受けてしまい、浦和レッズは敗戦。その試合後のロッカールームで当時浦和レッズの監督をしていたハンス・オフト監督に「今日は長谷部のせいで負けた」と厳しい言葉を浴びせられたこともあり、当時19歳ながらも人生が終わったと感じたほどの経験もあったそうだ。そんな厳しい環境のなかでも2年目からは浦和レッズのレギュラーとしてプレーするようになり、2006年には浦和レッズはリーグ初優勝を果たし、翌年のアジア・チャンピオンズリーグを初制覇するなど、勢いのいいシーズンを迎えるようになった。所属チームである浦和レッズの好調とともに、長谷部誠の個人への評価も上がるようになり、2006年1月にはA代表に初選出され、親善試合で日本代表デビューを果たし、その試合でもしっかりとドリブル突破やスルーパスなどで爪痕を残してみせた。しかし、その後はなかなか日本代表としては好機に恵まれず、ドイツワールドカップのメンバーには選ばれなかったりと日本代表としての選出はコンスタントにはいかなかった。
そんななか、6年間の浦和レッズでの活躍に幕を閉じ、2008年1月にドイツのトップリーグ、VfLヴォルフスブルクへ移籍。2月にはブンデスリーガデビューを果たし、4月にはブンデスリーガ初得点を挙げるなど、華々しい海外デビューを果たすこととなった。2008-09シーズンには、25試合に出場し、VfLヴォルフスブルクをブンデスリーガ優勝へと導いた。この頃、VfLヴォルフスブルクには大久保嘉人も移籍してきていて、VfLヴォルフスブルクのチームメイトとして一緒に優勝を経験することとなったのだ。

2008年からは岡田武史監督のもと、日本代表としてプレーする機会が増えるようになり、遠藤保仁とのダブルボランチで日本代表のレギュラーに定着。2009年の南アフリカワールドカップ・アジア最終予選にも出場し、4大会連続4度目になるワールドカップ出場を決めた日本代表メンバーとなった。そして2010年に開催された南アフリカでの2010 FIFAワールドカップの日本代表出場メンバーに選ばれると、当時の監督だった岡田武史から日本代表のキャプテンを指名されたのだ。ちなみに長谷部誠がA代表でキャプテンを務める以前は、中澤佑二がキャプテンを務めていた。長谷部誠がはじめてA代表でのキャプテンとなった南アフリカワールドカップでは、グループリーグの3試合と決勝トーナメント1回戦に先発で出場し、日本代表をベスト16入りへと導いたのだ。この南アフリカワールドカップから、長谷部誠=日本代表のキャプテンというイメージが定着し、長谷部誠は日本代表として欠かせない存在へと成長していった。
2009-10シーズン、2011-12シーズンとVfLヴォルフスブルクで活躍した長谷部誠だが、VfLヴォルフスブルクでのポジションが変わってきていたこともあり、本来のポジションであったボランチでのプレーを希望した長谷部誠は同じくブンデスリーガ所属の1.FCニュルンベルクへ移籍。1.FCニュルンベルクとの契約は3年で、当時1.FCニュルンベルクが勝っていなかったこともあって長谷部誠を起爆剤として期待していたのだが、長谷部誠の移籍を転機に変えることのできなかったクラブは、ブンデスリーガ史上初の前半戦未勝利という記録を残してしまった。その後長谷部誠は負傷などでチームを離れることになり、その影響もあって1.FCニュルンベルクは2014年にブンデスリーガ2部降格となってしまった。

なかなか1.FCニュルンベルクでの調子が掴めなかった長谷部誠だが、複数のクラブから獲得のオファーが届き、2014年にはブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ2年契約で移籍をし、長谷部誠自体のブンデスリーガ2部降格は免れた。フランクフルトへの移籍を決めるまでにかなり悩んだことをのちにブログでト吐露。「チームに残るべきか移籍をするのか、サッカー選手としての決断をするか1人の人間としての決断をするのかでかなりの間悩みましたが、最終的にはサッカー選手としての決断を選びました」と、フランクフルトへ移籍したのは、自身のサッカー選手としての将来を考えてのことだったことを明かしている。フランクフルトで迎えた2014-15シーズンは、8年目になるブンデスリーガでのキャリアのなかでも最多の33試合に出場するなど、フランクフルトでも早速中心選手として活躍。2015-16シーズンは、ブンデスリーガ1部で16位だったため、ブンデスリーガ2部との入れ替え戦を経験。この入れ替え戦では、フランクフルト移籍以前に所属していたニュルンベルクとの対戦だったが、長谷部誠はボランチでフル出場し、フランクフルトはニュンベルクに勝利し、ブンデスリーガ1部への残留を決めたのだ。この試合は、2年前にニュルンベルクからフランクフルトへ移籍した長谷部誠にとってはとても大きいもの。それでも、プレッシャーに打ち勝ち、2年前の残留の悪夢を振り払った長谷部誠は、フランクフルトで大きく成長したと言えそうだ。
2016-17シーズンからは、フランクフルトのチーム自体からの信頼もより高まり、リベロでプレーするようになると、2018年までフランクフルトとの契約を延長したのだ。そして2017年3月にはブンデスリーガの日本人最多出場記録を更新し、フランクフルトはもちろん、ブンデスリーガでも欠かせないプレーヤーとなったのだが、同じく3月にプレー中に大ケガを負い、手術を行ったこともなって、2016-17シーズン後半から2017-18シーズンにかけておよそ5ヶ月間公式戦に出場しなかった。ブンデスリーガへの復帰は2017年8月で、そこからは持ち前のプレーでフランクフルトに貢献し、2018年1月にはフランクフルトでの出場試合数が100試合に達するほどだ。そんななか噂されるのが、Jリーグへの復帰だ。長谷部誠は浦和レッズを出てから11シーズンをブンデスリーガでプレーしてきたものの、いまはケガの影響もありコンディションは抜群ではない。そのため、フランクフルトとの契約延長がなかなか決まらないこともあり、長谷部誠が日本でのプレーの可能性を匂わせていたことから、引退前はJリーグでのプレーが期待できるのではないか、という憶測が飛び交っている。

サッカー日本代表のキャプテンを務めることで心臓とも呼ばれる長谷部誠だが、2016年7月に結婚している。嫁となったのは、モデルの佐藤ありさだ。佐藤ありさと長谷部誠との出会いは、嫁の佐藤ありさが当時専属モデルを務めていた女性ファッション誌「non-no」の対談企画だったとか。もともとサッカーが好きだった佐藤ありさは、長谷部誠のファンだったために話が弾み、その後もインタビューなどの機会で顔を合わせるうちに交際がはじまったとされている。佐藤ありさとの交際が明るみになったのは2015年頃。まだ交際段階だった2人に、いきなり結婚報道が流れたのだ。いまでこそ、長谷部誠の嫁となった佐藤ありさだが、当時はお互いに交際を秘密にしていたこともあり、この熱愛報道に所属事務所やブログなどで結婚の予定はまだないという旨の宣言をしていたのだ。その後、大きく注目されることのなかった2人の関係が動いたのは、2016年7月。2015年に交際をスクープされてしまったこともあり、自分たちでまずはファンに報告したいという思いで長谷部誠と佐藤ありさが自ら入籍を報告したのだ。佐藤ありさといえば、女性ファッション誌でのモデル活動がメインのため、同性にしかあまり存在を知られていなかったのだが、当時から本田翼や桐谷美玲など、モデル仲間のSNSに頻繁に登場しては愛されキャラという印象が広まっていたこともあり、日本代表のキャプテンとして日本を牽引する長谷部誠の嫁にぴったりと、多くの人たちが祝福した。
2人の結婚は多くの人が祝福し、佐藤ありさと長谷部誠のドイツでの新しい生活を応援しているなか、2017年5月に嫁の佐藤ありさが自身のインスタで妊娠を発表。妊娠を機に産休に入ることを報告すると、多くのファンや仲の良い芸能人たちが祝福の言葉を贈った。そして2017年7月に長谷部誠は自身のインスタで嫁・佐藤ありさとの間に子供が生まれたことを報告し、このときも多くの人たちがお祝いのメッセージを送った。長谷部誠が子供を授かったことは、所属しているフランクフルトの公式Twitterでも報告されるほど大きな反響があり、日本代表のキャプテンもついに子供を持つパパになったことは多くの人が知ることとなった。ケガなどに悩まされながらも、キャプテンを務めるほど日本代表に欠かせない存在となった長谷部誠。2017年に地元・静岡にサッカースクールを開校したりと、引退後の動向も注目されているが、ロシアワールドカップでも日本代表のキャプテンとして出場することが予想されている。

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・CM
キリンビバレッジ「大人のキリンレモン」/「ボルヴィック」・ニベア花王「8×4MEN」・CITIZEN 「アテッサ」・JAL …

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