ニューヨークに、留学していたときに、住んでた私の部屋の写真。 大きいワンルームを、自分なりに仕切るスタジオという形式のアパート。 お芝居を勉強するために、ここに一年住んでいた。 私が座ってる場所は、ベッドと対角線になっているところにあって、このアームチェアのうしろは、大きい窓になっている。 カーテンの端が、ほんの少し左に見えるところを見ると、記憶は、確かだと思う。 お化粧をするときは、いつも、このアームチェアを鏡の方に向けるけど、たまにこんな風に向きを変えて、部屋全体が見えるようにして、考え事をしてたこともあった。 目の前には、暖炉もあった。 アメリカらしく、大きいアームチェアで、私が座ると、小さく見える。 でも、本当は、こんな風に静かに座って、ものを考えるという時間は、ほとんど無かった。 演劇学校には、毎日のように出かけたし、夜は夜でお招かれディナーで、急いで支度をしなくちゃならないし、引き込み線に入るつもりで仕事を、一年休んで将来を考えるのも悪いことではなかった。 女優の山岡久乃さんが「私なんかは、養わなきゃならない家族があって、そんなこと出来ないけど、あなたは身軽で出来るんだから、ゆっくりしてらっしゃい。」と言ってくださった。 沢村貞子さんは「いいね、休んどいで。でも、私は、2年は長いと思うよ、日本の芸能界は、待ってくれても1年だと思うよ!」と言った。 私は、居心地の良さに2年でもいいのかなぁ?と、心の中で思っていたけど、1年後にテレビ朝日から、突然電話があって、新しく始まる「ニュース・ショー」のメインの司会者になって欲しいという依頼だった。 それまで日本では、番組メインの司会者は、全て男性で女性は隣に立っている存在。制服のように、みんなが、白いブラウスに紺のタイトスカートのようなものを、着ていた。 たまに「えぇ」と言ったり、「ニコリ」と微笑んだり、というくらいだった。 しかも、テレビを見ている女性に、反感を持たれないように、たいがい抜擢される女性は、主婦か、主婦の経験のある人に限られていた。 私は、そのどちらにも当てはまらなかったので、「ダメだと思う」とテレビ朝日の人に言った。 すると、電話の向こうのテレビ朝日の人は、「だからお願いしているんです」と!! 「世の中、変わってきているんです。あなたみたいに独身で、ニューヨークへ行ったりして、自分の世界を持っている人の感覚が必要なんです。あなたに好きにやってもらいたいと、僕達は考えているんです」との電話だった!! 私は、考えた。 「あと一年、ここにいて楽しい暮らしをするのは確かに魅力的。でも、所詮仕事に戻るなら、新しい分野で仕事をしてみるのもいいかもしれない。」 1973年秋に、私は、日本に向けて飛び立った。 その時、別れが辛かった人も、居なくはなかった。 結婚も申し込まれたりもしていた。 でも、結局、私は仕事を選んだということになるのだろうか。 将来を考えて。 38歳の私です。

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黒柳徹子のインスタグラム(tetsukokuroyanagi) - 6月13日 11時24分


ニューヨークに、留学していたときに、住んでた私の部屋の写真。
大きいワンルームを、自分なりに仕切るスタジオという形式のアパート。
お芝居を勉強するために、ここに一年住んでいた。
私が座ってる場所は、ベッドと対角線になっているところにあって、このアームチェアのうしろは、大きい窓になっている。
カーテンの端が、ほんの少し左に見えるところを見ると、記憶は、確かだと思う。
お化粧をするときは、いつも、このアームチェアを鏡の方に向けるけど、たまにこんな風に向きを変えて、部屋全体が見えるようにして、考え事をしてたこともあった。
目の前には、暖炉もあった。
アメリカらしく、大きいアームチェアで、私が座ると、小さく見える。
でも、本当は、こんな風に静かに座って、ものを考えるという時間は、ほとんど無かった。
演劇学校には、毎日のように出かけたし、夜は夜でお招かれディナーで、急いで支度をしなくちゃならないし、引き込み線に入るつもりで仕事を、一年休んで将来を考えるのも悪いことではなかった。
女優の山岡久乃さんが「私なんかは、養わなきゃならない家族があって、そんなこと出来ないけど、あなたは身軽で出来るんだから、ゆっくりしてらっしゃい。」と言ってくださった。
沢村貞子さんは「いいね、休んどいで。でも、私は、2年は長いと思うよ、日本の芸能界は、待ってくれても1年だと思うよ!」と言った。
私は、居心地の良さに2年でもいいのかなぁ?と、心の中で思っていたけど、1年後にテレビ朝日から、突然電話があって、新しく始まる「ニュース・ショー」のメインの司会者になって欲しいという依頼だった。
それまで日本では、番組メインの司会者は、全て男性で女性は隣に立っている存在。制服のように、みんなが、白いブラウスに紺のタイトスカートのようなものを、着ていた。
たまに「えぇ」と言ったり、「ニコリ」と微笑んだり、というくらいだった。
しかも、テレビを見ている女性に、反感を持たれないように、たいがい抜擢される女性は、主婦か、主婦の経験のある人に限られていた。
私は、そのどちらにも当てはまらなかったので、「ダメだと思う」とテレビ朝日の人に言った。
すると、電話の向こうのテレビ朝日の人は、「だからお願いしているんです」と!!
「世の中、変わってきているんです。あなたみたいに独身で、ニューヨークへ行ったりして、自分の世界を持っている人の感覚が必要なんです。あなたに好きにやってもらいたいと、僕達は考えているんです」との電話だった!!
私は、考えた。
「あと一年、ここにいて楽しい暮らしをするのは確かに魅力的。でも、所詮仕事に戻るなら、新しい分野で仕事をしてみるのもいいかもしれない。」
1973年秋に、私は、日本に向けて飛び立った。
その時、別れが辛かった人も、居なくはなかった。
結婚も申し込まれたりもしていた。
でも、結局、私は仕事を選んだということになるのだろうか。
将来を考えて。
38歳の私です。


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2018/6/13

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