堀部圭亮のインスタグラム(keisuke_horibe) - 4月15日 21時35分
昨日、大杉漣さんのお別れ会「さらば!ゴンタクレ」に伺ってきました。
漣さんが亡くなった事がなかなか受け止められず、訃報を知って以降SNSなどでは触れられずにおりました。昨日の会で漣さんに感謝とお別れをお伝え出来た事で、自分の中でひと区切りつけねばと思っています。
お会いするといつも背筋を伸ばし、笑顔で挨拶をされる方でした。
10以上も歳下のボクがいうのも変ですが、本当に爽やかでチャーミングな方でした。
ご自身を「現場者」と仰って、何よりも現場を愛した漣さん。
その漣さんは、こんなにも沢山の方々に愛されていたのだと感じた、本当に温かくて素敵な会でした。
「芸名の漣は、徳島出身だから阿波踊りの連に因んでですか?」と聞いた事があって、漣さんは「昔ね、漣(さざなみ)って名前のコンドームがあったの。それよ」って。
実は、フォークシンガー・高田渡さんの息子さんのお名前を芸名に頂いたのだという事は、訃報記事の中で知りました。
「なんだよ漣さん!コンドームの話、ウソじゃないですか⁉︎」
きっと今頃、あのお茶目な顔で笑っているかもしれませんね。
映画『ポストマンブルース』(’97)で宮崎映画祭にお招き頂いた折、ホテル内の居酒屋さんで自分の愚痴を散々聞いて頂いた事、当時それが本当に自分の救いになった事。ちゃんとお礼をせぬままでした。
もっともっとお話をしたかったし、現場をご一緒させて頂きたかったです。
漣さんとの思い出は沢山ありますが、それがもうこれ以上増えないのだと思うと、遣り切れない思いです。
お別れ会の間はなんだかフワフワして自分の感情が分からずにいたのですが、パーキングの自車に戻った瞬間、涙が溢れました。
車の中で喪服を着替え、そのまま都内スタジオに向かい、某番組の収録へ。
「現場者」の漣さんに倣い現場を第一に、これからも前を向いて行きます。
写真は自室の書棚に飾ってある『ポストマンブルース』撮影時の物。
漣さん、本当に本当にありがとうございました。
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2018/4/15