桂のインスタグラム(astrology_tarot) - 3月22日 02時47分
女院は、自分が優雅を代表していたにもかかわらず、心ならずも、今や自分の見た忌まわしいものを代表して生存している。自分が正確にはどちらに属しているのか、彼女にはわからない。肉体はなお優雅の形をとどめているのに、それにはすでに屍臭がしみついている。
このとき女院は、表現者の立場にいるのではない。彼女は体験が表現を蝕み、表現が体験を蝕む、パッシヴな窮状に身を置いている。というのは、体験は屍体公示所の体験であり、彼女の知っている表現は優雅の表現だけだからである。
一つの文化が、最高の洗煉によって、純粋表現の極致にいたるときに、そこには表現から見捨てられたものが山と堆積する。かつてルイ王朝のような文化は、このような文化であった。エリザ朝の文化はこれとは範疇を異にして、秤の一方にたえず野性を置いている。
そして人間の怖るべき実相は、文化の飽くなき形式意慾から離れて、表現されざるものとして、沈澱し堆積するが、いつかは必ず、この表現から見捨てられたものが復讐して、洗煉の極致に達した文化の蒼ざめた顔に、自分の屍臭に充ちた血みどろの顔をグイと押しつけるのである。壇之浦の戦とは、こういう文化が人間的実相に直面する宿命の表現だった。そのとき文化はもう息もできない。そして突如として、貴婦人が隠亡の知識に親しむのである。
ーー『古典文学読本』よりーー
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2017/3/22