当館で開催予定のイベントです。ぜひお越しください。 <予告>  第八回作州維新文庫 特別展 『棟方志功と仲間たち展』 日時  平成28年 7月13日(水)~14日(木)  10時から18時まで。  場所  旅館お多福  津山市山下28 主催  作州維新文庫  共催  直毘塾 ~入場無料~ ※展示作品は棟方志功・保田與重郎・中谷孝雄・松永材・影山正治ほか。 ※奈義町日本原で繰り広げられた、文人たちの心の交流の軌跡を。 世界的彫刻家といわれる奇才棟方志功氏が、戦後、県北のこの地を度々訪れたことはよく知られている。その理由としては温泉療養であったとか、物見遊山であったとかいわれる。いまでは本当の理由やその実情を知る人も少なくなった。それゆえに今回は棟方氏が“日本原・日本理想の里”と名付けたことや、この地の人々といかに魂の触れ合いを持ったかなど、真実の歴史を紹介する企画を立てた。 さて、昭和20年8月15日大東亜戦争が終結した直後の9月、国学院大学教授松永材氏が再来原された。これを期に以前より指導を受けていた武山巌氏らは、日本原開拓団を結成し正式にこの地に入植した。昭和21年9月には大産霊神社の創建を発願し、11月には光組合を結成、後に光農場と改称した。ここを救国の拠点として、松永氏、西三千春氏、柳井道弘氏らの指導を仰ぎ、同志相集って以後、国思いの心情を吐露し、励まし合う場となってゆく。農を生活の基本に置き、剣魂歌心に生きる運動は、日本主義の実践、また新しき村への挑戦としての意義をもって知られ、多くの志ある人々がこの地を訪れることとなる。昭和23年夏には柳井氏に誘われて、保田與重郎氏や前川佐美雄氏らが来津し、奥津を経て恩原高原にて遊説、人形峠を越え三朝・関金に遊び大山に登頂、出雲大社に参拝した。翌9月には奈義町上町川に大産霊神社が創建され、神道を心の支えとして、いよいよ結びを堅くしていった。昭和23年の秋には棟方志功氏が柳井氏を訪れるべく初めて来津して鶴山城址を散策、奥津温泉にも遊び上斎原に至った。この時、柳井氏の命により福田景門氏が津山駅に棟方氏を迎えた。昭和24年夏には柳井氏に伴われて保田氏が来原した。昭和25年3月にも棟方氏が来津。3日から5日まで上斎原の柳井氏を訪ね奥津にて宿泊。同年10月15日から11月15日まで棟方氏は来原した。昭和26年8月15日には松永材氏を塾長として奈義に直毘塾を創立された。昭和27年1月15日には棟方氏が山陰への旅から上斎原の柳井氏宅に宿泊しこののち来原。棟方氏は以後10回近く同地を訪れ、この地の人々と心の交流を持つこととなる。昭和27年10月にも来原した棟方氏が新野小学校にて講話。昭和28年1月から2月、松江、岡山、倉敷と旅した棟方氏が来津。1月23日には奥津河鹿園茶室の落慶に参加した。昭和29年1月26日にも棟方氏は島根の玉造温泉から来津し、日本原に向かった。6月15日柳井氏が日本芸業院より処女詩集『花鎮頌』を出版、装丁等を棟方氏が飾った。昭和30年5月25日には影山正治氏が来原。昭和43年6月松永材塾長ご逝去。昭和47年4月には松永材先生留魂碑建碑祭挙行。岩越元一郎先生二代目塾長に就任。昭和57年5月2日には物故者合同慰霊祭挙行し、中村武彦先生が三代目塾長に就任した。 #棟方志功 #保田與重郎 #中谷孝雄 #松永材 #影山正治

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旅館 お多福のインスタグラム(ryokan_otafuku) - 6月28日 18時54分


当館で開催予定のイベントです。ぜひお越しください。
<予告> 
第八回作州維新文庫
特別展
『棟方志功と仲間たち展』
日時  平成28年 7月13日(水)~14日(木)
 10時から18時まで。 
場所  旅館お多福  津山市山下28
主催  作州維新文庫 
共催  直毘塾
~入場無料~
※展示作品は棟方志功・保田與重郎・中谷孝雄・松永材・影山正治ほか。
※奈義町日本原で繰り広げられた、文人たちの心の交流の軌跡を。
世界的彫刻家といわれる奇才棟方志功氏が、戦後、県北のこの地を度々訪れたことはよく知られている。その理由としては温泉療養であったとか、物見遊山であったとかいわれる。いまでは本当の理由やその実情を知る人も少なくなった。それゆえに今回は棟方氏が“日本原・日本理想の里”と名付けたことや、この地の人々といかに魂の触れ合いを持ったかなど、真実の歴史を紹介する企画を立てた。
さて、昭和20年8月15日大東亜戦争が終結した直後の9月、国学院大学教授松永材氏が再来原された。これを期に以前より指導を受けていた武山巌氏らは、日本原開拓団を結成し正式にこの地に入植した。昭和21年9月には大産霊神社の創建を発願し、11月には光組合を結成、後に光農場と改称した。ここを救国の拠点として、松永氏、西三千春氏、柳井道弘氏らの指導を仰ぎ、同志相集って以後、国思いの心情を吐露し、励まし合う場となってゆく。農を生活の基本に置き、剣魂歌心に生きる運動は、日本主義の実践、また新しき村への挑戦としての意義をもって知られ、多くの志ある人々がこの地を訪れることとなる。昭和23年夏には柳井氏に誘われて、保田與重郎氏や前川佐美雄氏らが来津し、奥津を経て恩原高原にて遊説、人形峠を越え三朝・関金に遊び大山に登頂、出雲大社に参拝した。翌9月には奈義町上町川に大産霊神社が創建され、神道を心の支えとして、いよいよ結びを堅くしていった。昭和23年の秋には棟方志功氏が柳井氏を訪れるべく初めて来津して鶴山城址を散策、奥津温泉にも遊び上斎原に至った。この時、柳井氏の命により福田景門氏が津山駅に棟方氏を迎えた。昭和24年夏には柳井氏に伴われて保田氏が来原した。昭和25年3月にも棟方氏が来津。3日から5日まで上斎原の柳井氏を訪ね奥津にて宿泊。同年10月15日から11月15日まで棟方氏は来原した。昭和26年8月15日には松永材氏を塾長として奈義に直毘塾を創立された。昭和27年1月15日には棟方氏が山陰への旅から上斎原の柳井氏宅に宿泊しこののち来原。棟方氏は以後10回近く同地を訪れ、この地の人々と心の交流を持つこととなる。昭和27年10月にも来原した棟方氏が新野小学校にて講話。昭和28年1月から2月、松江、岡山、倉敷と旅した棟方氏が来津。1月23日には奥津河鹿園茶室の落慶に参加した。昭和29年1月26日にも棟方氏は島根の玉造温泉から来津し、日本原に向かった。6月15日柳井氏が日本芸業院より処女詩集『花鎮頌』を出版、装丁等を棟方氏が飾った。昭和30年5月25日には影山正治氏が来原。昭和43年6月松永材塾長ご逝去。昭和47年4月には松永材先生留魂碑建碑祭挙行。岩越元一郎先生二代目塾長に就任。昭和57年5月2日には物故者合同慰霊祭挙行し、中村武彦先生が三代目塾長に就任した。
#棟方志功 #保田與重郎 #中谷孝雄 #松永材
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2016/6/28

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