大石あやかのインスタグラム(indigo_ayaka) - 6月12日 19時56分
【靖国神社のこと】👈センシティブな話題だから、今日は激長です👩🏫
中国脅威論とか嫌韓論みたいなものが意図的に煽られるとき、やたら『#愛国心』とか『#大和魂』『#真の日本国民』『#武士道』とか叫ばれる📣✊🏻
そういう形でまとまるのは、危険だと思っている💦なぜなら、排外主義は感情論となり、ヘイトや戦争に繋がるから。
(別に郷土愛を持つな、と言いたいのではない🌿)
イデオロギーの拠り所のようなものが、天皇家だったり靖国神社だったりすることが危険⚠️國體に直結し、戦争へのシナリオとなりやすいから……🥹なので、以下に単に事実だけ整理しとく。
✼••┈┈以下長いので読み飛ばしOK┈┈••✼
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1879年の6月。
長州志士らによって作られた #東京招魂社 が
靖国「神社」に改称。
命じたのは明治天皇。
戦没者を「神」とすることで
官による戦没者の政治利用が
はじまった、ターニングポイント。
╲
招魂社は、もともとは長州藩の発案。
#戊辰戦争 で命を落とした長州藩士たちは、仏式ではなく大陸の儒教式で祀られていた。藩内20カ所に設けられた招魂場に「神霊」として祀られた。
「殉難者」の魂を招いて慰める祭事・招魂祭が、春秋には盛大に催されていた。
つまり、神道とも仏教ともまったく関係がない。
そうして、孝明天皇が不審な死をとげたあと(幕府との強調路線の攘夷派天皇。長州の過激派を牽制していた)新時代の覇権を握った木戸孝允、大村益次郎ら長州藩士たちが作ったのが、大陸式供養=招魂社だった。
このとき、戦死者3588名(維新軍のみ)が御霊として祀られ、幕府側は朝敵として排除された。
(幕府側だった会津藩の落城の日9.22を大祭の日としたなど、恨みを重ねることで死者に鞭打つような行為が『日本的ではない、西洋的な感覚』という研究者からの指摘も)
事実、王朝時代には、死者に対する陰陽道の招魂祭は禁止されていた。死者・生者に対する神道儀礼は鎮魂祭と称されていた。
しかしなぜか、1875年、明治政府は突然、招魂社の祭儀を官祭とし、1876年の6月、各地の招魂社にまつられている霊と未祀霊を 東京招魂社(靖国神社)に合祀することとした。(明治天皇は長州閥の言いなりだったことがわかる……🫠)
招魂とは、死者の霊魂を使って祭祀や呪詛を行う
道教╱儒教的風習の一つ。
これは大陸から伝わった「陰陽道」の一種(そもそも陰陽道が中国・朝鮮から初めて日本に伝えられたのは、6世紀の 継体天皇 の時代。継体天皇は、百済の強力なバックアップを受けた天皇 とされている🇰🇷←ちなみに韓国の国旗は、陰陽と八卦をあらわしている)大和王朝は、神話をもたらし整えて「大和合」をなした渡来人。
そのうえで、さらに、ロスチャイルド≒マセソン商会(武器商人)グラバーのバックアップを受けた長州藩率いる維新政府がイデオロギーを強調し、日本の古来の産土神を廃した(=#神社合祀政策)。
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ってのが、靖国が神社となった歴史的背景🏇
ちなみに靖国の境内は、神社ができる前は「#招魂社競馬場」つまり《馬に鞭打って貴族がカネを賭ける》という、西洋式の競馬場でした😅😅
神道では馬は「神馬」と呼ばれることもある、神様の乗り物。……ね、これだけでも、靖国が神社とは違うのわかるよね??
平和の犠牲となった戦死者の魂は、何を思っているだろう。たぶん『誇りを取り戻すために、また戦争をしておくれ🎌』とは思ってないはず……🌸
と、軍服コスプレおじさんたちが自己満でエモく唸ってるのを見るといつも思います。
国の失策によって命を落とした戦没者は、非戦平和の誓いとともに「安らかにお眠りください」って慰霊されててほしい👏
そのぶん、私たちが、政治や民主主義で参加して、グローバリズムに食い潰されそうなこの国の資源・環境・生活を守らなきゃね👍🌱
戦犯の合祀だとか、近隣国への謝罪云々とかは、
単なる後付けのマッチポンプ🔥仕掛けてる。
死してなお、戦死者の鎮魂を政治の道具にしたり、諍いの火種とされるのは、間違っていると私は思います。
こういうのも、届く人にしか伝わらないし理解されないのも分かってる🥲でも、残しとく。
私が叩かれてもいいから、調べて知ってしまった者のせめてもの責任として、後の人のために書いておく。
戦争屋さんは、裏から手を回して《 #大和民族》を煽り、私たちを分断させて、きっと笑ってる。
切ないけど、今だからこそ、平和を願ってきた精神や文化の土台が大事になる。そしてそれこそが、あらゆる人々が作り上げてきた《日本》なのだと思う🐉
#陰謀論のリアル
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2023/6/12